井波彫刻とは

南砺市井波地域は名刹井波別院瑞泉寺の門前町として栄えてきました。
井波彫刻の発祥にはこの瑞泉寺と深いかかわりがあります。
瑞泉寺は室町時代の初期に綽如上人によって開山され、以来、何度か焼失しその都度再建されています。戦国時代には佐々成政の焼き討ちに遭い、江戸時代の中期には井波の大火により焼失しています。
この江戸時代中期の再建の折に、本堂彫刻のため、京都の本願寺より、御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、このとき地元大工・番匠屋九代七左衛門ら四名がこれに参加し、彫刻の技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりです。

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瑞泉寺再建に携わった井波彫刻家の門流達は、寺社彫刻では東本願寺・東京築地本願寺・日光東照宮など全国各地の寺社・仏閣の彫刻を数多く手がけ、また、それと並行して一般住宅欄間、獅子頭など、置物にも力を注いできました。
そうして井波彫刻の技術を発展させてきた結果、今日、井波には彫刻師が約200人、工房が150件存在する日本一の彫刻産業地となっています。

また、2018年5月には、石畳の八日町通りを中心に彫刻工房と町屋が並び、木彫刻をほどこした看板や表札が至るところに飾られて、まち全体が「木彫刻美術館」のようになっている特色が評価され、「宮大工の鑿(のみ)一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」として「日本遺産」に認定されました。

リンク:井波彫刻協同組合公式ホームページ